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「拝啓、未来の自分|福岡、西中洲の和食、日本料理 ゆるり」


昔撮っていただいた写真データを見つけた。
どれくらい前かはよくわからないが、
プロのカメラマンさんに撮ってもらったので写真自体はとても綺麗だ。

伊勢海老、舞鶴京芋、木葉南京、紅梅人参、白梅大根、針柚子、鳥丸、慈姑六方、椎茸艶煮、タラの芽、うるい、木の芽、筍。炊き合わせである。

今の自分が想像するに、
この時の自分は「和食らしい綺麗な物」が造りたかったんだろう。色合いとか形(剥き方とか)はそれなりに工夫や考えた形跡が見て取れる。

しかし、あえて言おう。

「無茶苦茶下手やんけ!!!!」
「駄作や、駄作、はよゴミ箱にすてい!!!」

剥きものの技術とか盛り付け、器のセンスもそうだけど、「日本料理としてあかん」のよ、これじゃ。

見た目はまあまあいいよ。「うわー、綺麗」かもしれん。ただ見た目の良い感じの物並べただけの設え料理。しかし、「料理としての目的」が全くない。

「何を」「どんなふうに」「どのタイミングで」

がまったく想像できない。もっと言えば、この皿自体のバランスが最悪。

・どれが主だかわからない。すべて主の炊き合せとしては品数が多すぎる。
・木の芽、柚子の2つの香味。木の芽の量もそうだが、これでは全く味がわからないだろう。
・季節感が不明瞭。多分春先だと思うが、南京、鳥丸は意味、狙いがまったくわからない。

やりすぎ。自分のことなので悪ノリしたのだろう。
しかし、「小手先の技術」におぼれた最悪の結果だ。

なんでもそうだが、「見た目」より「中身」というか、「本質」が大事。見た目を整えるほうが簡単かもしれないがメッキはすぐにはがれるように思うし、メッキを施し続けるほうが実は大変だったりして。

この頃よりは少しまともな料理が作れるようにはなったみたいだが、正直、料理の最初の「り」の字が分かりかけてきたくらいだと思う。

時間が経って、今の自分の料理をどう評価するのか?

きっと今の自分は未来の自分に「ヘタクソ、一回死んどけ」のありがたいお言葉いただいていることだろう。

「昔のほうが良くない?」とか思わないように今を頑張ろう。

追伸:写真の整理中にまだちびっ子のときの甥っ子様の写真を発見。でかくなったね。時間が経つのは早いもんだと実感。

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西中洲の和食「ゆるり」
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